旧筑前黒田藩の歴代当主の育英事業の意思を受け継いで、旧福岡藩内の子弟の人材育成と学問奨励の目的をもって設立された公益財団法人黒田奨学会。そこで理事事務局長をしておられる田中崇和さんは、理事になるにあたって神道と縁がありました。
浪人生の夏、太宰府の戒壇院の一室を自習室としてお借りしていたという田中さん。その恩をなんとかお返ししたい思いで、16世紀の修道士ヨハン・テッツェルの音の鳴る箱からヒントを得て、賽銭箱に工夫してお金が入ると鐘の音が鳴る仕組みにします。鐘の音聞きたさに参拝者がお賽銭を二度三度入れることが増え、田中さんの寺の和尚さんへのせめてもの恩返しとなりました。
後日、神社関係の仕事を多く手掛けるお父さまから光雲(てるも)神社の新しい企画の相談を受け、鐘の音が鳴る仕組みを鶴の声に替え、光雲神社の賽銭箱にも電気仕掛けで組み込むことにしました。その「謡鶴(うたいづる)」の賽銭箱が黒田家の当主の目に留まり、この機構を考えた学生は面白いから大学に入ったら奨学金を出しておきなさいという話になりました。田中さんは、感謝の念から奨学会の会合にその都度出席し、黒田家当主との交流が深まります。そして、福岡に残るのであれば奨学会の理事をやってくれないかと声がかかったといいます。
歴史・文化の深い教養をもとに賽銭箱に電子工作を施して生まれた縁。田中さんの語られるエピソードには文化的なもの、科学的なもの、宗教的なものが自然に同居してるのが印象的です。
こんな話もありました。お兄さんとその教え子と共同で取り組んだJAXA主催の人工衛星コンペで、ロケットの空きスペースに10cm角の人工衛星を積んでいっしょに打ち上げるという企画に応募したそうです。カラー撮影画像の高速送信システムと、日本の上空で組み込んだLEDを発光させる「にわか」(機体名)で見事に採用されます。打ち上げ前の最終確認後は、機体を開いてはいけない規則になっていましたが、成功祈願に訪れた筥崎宮で授かったお神札を、学生たちの願掛けの小さなプリントとともに、こっそりカバーのネジをゆるめて忍ばせます。JAXAに採用された5機の人工衛星のうち、宇宙空間で計画通り作動したものは、アメリカの大学のものと、田中さんたちの「にわか」の2機だけだったといいます。「お宮さんに頼むことはいいことやぞ」と笑顔でお話しする田中さん。人工衛星製作という先端的な科学の分野に精通していながら、お神札や願掛けのような宗教的なものにも構えることなく受け止める柔軟な思考を感じました。
田中さんの人柄を表すかのように、黒田奨学会事務所の一角にも神棚が祀られています。奨学生全員のネームプレートとともに据えられた神棚は、今日もみなさんのことを静かに見守っていることでしょう。